「出息入息 不待命終」、命の長さってどれくらい?

今日からまた新しい週の始まりですね。

計画停電が行われていないのでちょっとほっとした週末でした。

週明けですから、いつものように、でもちょっと早めに起きて、

出勤の支度をしてでかけていきます。

そして、家を出るときは、いつものように「じゃ、行ってくるね」と

言って出掛けます。

これは、「行って、帰って来るよ」と無意識に言っているのだと

思います。

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しかし、行ったきりで、帰って来れない。

また、帰りを待つひとすらもいなくなってしまう。

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今回の大震災では、朝、家を出たときは、元気な紅い顔をして

いたのに、夕方には変わり果てた姿になってしまったわけです。

お釈迦さまは人の命の長さのことを、

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出息入息 不待命終」(しゅっそくにゅうそく ふたいみょうじゅう)

と説かれました。

つまり、出る息は入る息を待たず、命終わるものなのだと。

私を含めほとんどの人は、死は遠い先のことで、生と死は、

まったく別のもののように考えています。

しかし、ふーっと吐いた息が吸えなかったら、もし、吸った

息が何かの拍子で吐けなかったら、その時から仏教にいう

「後生(あの世)」なのです。

この例のように、冷静に考えてみれば、若者でも年寄りでもみな、

明日の命さえ保証されているわけではないのだということなのです。

だから、生かされているこの時間は大切なんだなあと思います。

震災で直接被災していない私は、今日もフツーに出勤して、フツー

にお仕事していこうと思います。

被災してお仕事できないひとたちの分もしっかり仕事していかなきゃ。

そんななにげない日常が、じつはいちばんしあわせなんだ

なあと感じています。

実家でお世話になっている浄土真宗のご住職が法事のときに

お話しいただいた内容を思いだしてちょっと書いてみました。

では、今日も一日がんばりましょう!