「引き際の美学」について考えてみる

日本では伝統的に「引き際の美学」というものがあり、引き際をいわば

「天命」とし、潔く身を引くことを良しとしてきました。

たとえば、広島の前田外野手とかジブリ宮崎駿監督のように、まだ

活躍できる余力を残しつつ、潔く身を引くケース。

広島の前田外野手の引退会見では、

「故障だらけの人生でしたが、広島で、カープで、いちずに野球できた

ことを誇りに思います」。

宮崎駿監督の引退会見では、

「僕の長編アニメーションの時代は、はっきり終わった。今後やろうと思

ってもそれは年寄りの迷い言」。

shuttlexの備忘録と私的雑感

一方で、引き際が問題となるような、いわゆる「晩節を汚す」人たちも

います。

たとえば、テレビ番組での判断能力、自浄能力を維持しているとみな

されていた、あのみのさん。初動の誤りを契機に、これが幻想である

ことが露呈。さらにまずいことに、本人以外がそのことを知って見限っ

ているのに、そのことを読めてないわけです。

まあ、そんななかで、「最後のひと花」を咲かせようと頑張ってるひと

もいます。

よい例が、71歳でなお、輝き続ける元ビートルズ、ポール・マッカー

トニーさんでしょうか。

shuttlexの備忘録と私的雑感

そもそも引き際を考えることなく、ずっと突っ走っておられるのだから、

スーパースターちゅーひとはすごいものです。

いつまでもやりたいことを最後まで諦めないでいるところは、見習わ

なくてはいけませんね。

でもなあ、そんな輝やかしい現在があるわけじゃないし・・・。(笑)