日本に蔓延る、「体罰体質」を考えてみる

しかし、過去に何度も暴力を訴えていたのに聞き入れず、意を

決して、全日本柔道連盟を飛び越えて、JOCに直訴したのにも

関わらず、直接の上部組織である全日本柔道連盟では、相変わ

らず「訓告」(気をつけれろよ程度)で済ませることに批判が高ま

っています。

柔道って、殴る蹴るは、そもそも御法度ではなかったの?

shuttlexの備忘録と私的雑感

事、ここに至って、監督を退く考えを示すコメントをされているよ

うですが、その席で、自分自身が受けた体罰の経験を認めた上、

「それを体罰だと思ったことはない」とも語ったそうです

 ・暴力=情熱

 ・選手がコーチを訴えるとはなにごとか、のような連盟の対応

 ・信頼関係があれば、殴られても悪感情をもたないという認識

 ・体罰を行うことは弱い心の矯正に有効

いやー、この問題、まさに学校での体罰での自殺問題をだけに

止まらず、オリンピックに出るような選手から、広くいえば日本の

企業や人間関係までもが「体育会系」を良しとしてきたところに、

この問題の根幹があるのかもしれません

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これがあらゆる日本の組織で、体罰を生み出す原因とするなら、

この悪しき体罰体質から、どうすれば抜け出せるのでしょうか

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たとえば、大阪の市立高校で、バスケットボール部の男子生徒が

顧問教諭から体罰を受けて自殺した問題。

自らの命を絶つほど、壮絶な絶望の淵に追い込まれていたこと

なぜ、「退部」という選択肢を選べなかったのか?

「死ぬ」のと「退部」なら、「退部」のほうがよほど容易いはずなのに、

なぜ死を選んでしまうのか?

体罰をする指導者(企業では言葉で暴力をふるう上司も該当)が

いて、それを良しとする意識(風土)があって、他を選択する余地

がない閉じられた世界にいると、ひらすら体罰(いじめ)に耐えるか、

辞めるしかないのでしょう。

しかし、この問題は論外にしても、「体罰」=「悪」=「廃絶」と、問

題を単純化してすべてを解決していくことが、解決なのかというと、

うーん、どうなんだろう?と思ってしまうのです。

私が思うにこの問題、信頼関係という一線を超えてしまったときに、

その現場にいる他の指導者や先生などもあてにはならないし、

ましてや、周囲も見て見ぬふりされたときに、最後に駆け込める

「逃げ場」(柔道パワハラのときはJOCだったように)を作っておくこ

とが、切実に必要なのではと思うのです。