集団避難、これが「今」なのでしょうか

支援ボランティアで、福島第一原発事故で集団避難されている

騎西高校を訪問したことを昨日ブログに書きました。

関東大震災から、1年2か月が経過し避難していた方々も仕事

や生活のためにこの施設から出られて近隣のアパートや、もとの

福島県内にお戻りになり、現在は約280名弱のみなさんが避難

生活をされておられるとのこと。

昨年の避難当初、さいたまスーパーアリーナから、この高校に、

なんと、1400人を超える人々が避難されていたというから驚き

ました。

shuttlexの備忘録と私的雑感

テレビ報道で見た、あの避難所のまま

さすがに、教室内の様子を撮影するのは問題があろうかと撮りません

でしたが、窓越しに見えたのは、大きな教室をいくつかに区画したもの

でした。

生活環境の改善は図られているのでしょうけど、基本、一つの教室で

複数の人々が、いっしょに暮らす状況に変わりはないようです。

朝と晩はお弁当、お昼はパン

学校だから給食施設くらいあって、自ら炊き出しでも行っておられるのか

と思っていたら、いまもお弁当とパンの生活なのだそうです。

だから、時々、親戚や知り合いをつてに食べにでかけたりしているとの

こと。だから、ボランティアが行う炊き出しは、たいへん喜ばれるのだそう

です。しかし、炊き出しを行う場合は、弁当やパンがカットされるそうで、

炊き出しを行うにあたっては、一食をまかなえるくらいの内容を求められ

るそうです。そんな経緯から、今回は炊き出しをあきらめたとのこと。

ボランティア支援に淡々と応じるみなさん

私が意外に感じたのは、ボランティアに対して淡々を応じるみなさんの

姿だったのです。震災から1年数ヶ月が経過し、そのなかで有名・無名

多くのボランティアが活動してきたそうです。もうそんな光景には慣れて

しまわれたのでしょうか、それとも出されるものによってなのでしょうか。

ただ出されるものを必要分だけ伝えて受け取るだけ、別になにかを求め

て来たわけじゃないけど、なにかしらあってもよさそうなものでは・・・。

やっと具体的な支援ができることによろこんで、集合時間の1時間前に

やってきたのに、あっという間に持ち込んだ支援物資は配布し終わり、

その他は倉庫に納めて終了でした。お昼時だからか会話もあまりなく、

そのまま教室に戻られてしまいました。唯一、双葉町の職員さんが笑顔

で会釈されたことが、せめてものなぐさめでした。

あまり先のことまで、考えていられないのかも

突然の大地震、そして原発事故の発生から、何の予告もなしに、見ず

知らずの埼玉に集団避難させられ、長い避難生活をおくっておられる

みなさまの心労は、いかばかりなものでしょう。

年内には、この施設から出て、ふるさと福島のどこかに移動するのだ

そうだとか。あと何年、こんな暮らしを続ければいいのかわからないまま、

でも、当面の問題は、ここにいつまで暮らせるのか、ただ、それを考える

日々なのかもしれません。

一刻もはやく、心やすらぐ安住の地がみつかることを願ってやみません。

これは私、一個人としての雑感であることを最後にお伝えしておきます。