震災の受け止めかたや行動に、温度差があって当たり前

東日本大震災の発生3.11から、今日で3カ月が経過しました。

改めまして、この大震災でお亡くなりになられたかた、そして未だに

行方不明のみなさまのご冥福をお祈りいたします。

あらためて言うまでもなく、今回の震災は、未曾有の出来事でした。

被災地を見つめるみなさんは、引き続き「被災地のために何かした

い」と思っておられることでしょう。

shuttlexの備忘録と私的雑感

いま、首都圏は節電で街が暗い状況は続いているものの、スーパー

やコンビニの棚には商品で満たされており、ほぼ正常の生活に戻り

つつあります。

しかし、一方で、いまも被災地では多くの非難者が不自由な生活を

続けられており、また、大量のがれき、ヘドロ、そしてそれが放つ悪臭

との戦いも続いています。

この被災地とのギャップに加え、報道も被災地のいまを伝えなくな

ってくると、ひとそれぞれ被災地への想いというものも変わってきて

しまうのかもしれません。

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そもそも、何かしたいという想いを、どう考え、どう行動に移すかは、

あくまで個人の問題になります。

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震災後の景気低迷で被災地のことよりも、まずは自分のこと、会社

のことを守らなければ、被災地への行動を起こすことすらできなく

なるという現実もあります。

だから、震災に無関心そうなひとがでてきても、ここは「なるほど。

人それぞれ考え方って違うもんだ」くらいに考えて、なんでもこうで

なけりゃいけない!なんて、感情に走ったり、無理くりにひとつにま

とめたりなどせずに、もっとおおらかにいきましょう。

たとえば、ボランティアで出掛けなくても、被災地の産物を買うとか、

自分の身の丈でできる範囲のことを続けていく、これが「何かしたい」

を長続きする秘訣かもしれません。